第7話 だれとでも仲良くなれた吉野!?
|
1916年(大正5年)吉野作造が「民本主義」を引っさげて言論界に打って出た時、吉野の主張は、賛成と反対の大きな渦に巻き込まれることとなりました。それは、まだ民主主義が確立していなかった大正当時の日本の政治にとって、重要で鋭い指摘であったからです。
賛成も多かったのですが、反対も多く、思想的立場の異なる多くの人々が「民本主義」について批判をしました。吉野は、東京大学の同僚で国家主義者だった上杉慎吉とも激論を戦わせました。上杉と吉野の主張は真っ向から対立し、吉野はわざわざ上杉を暗に批判する論文を書いたほどです。
|
 |
しかし、そのような2人でも大学で顔を合わせるとお互いにあいさつを交わし、和やかに立ち話をするほど仲が良かったと伝えられています。これは、公的な立場と私生活を明確に分けていた吉野ならではの行動といえます。私生活では、吉野ほど親しみ深い政治学者はいなかったかもしれません。
吉野の研究室を訪れた人たちは、帰る時には必ず吉野ファンになりました。日本刀を持ち殺気立ってやって来た青年が、吉野の話を聞くうちに刀をしまい、最後には吉野の弟子になることを希望したこともありました。常に穏やかに理屈にかなったことを辛抱強く語りかける吉野の姿勢が、青年の心を変えたのでしょう。
人を包み込むやさしさ・穏やかさと、どこまでも信念を貫く強さが、吉野の中に同居していました
|
|