第5話 泣いた子供をあやすのが得意だった吉野
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| 吉野作造・たまの夫妻の子供は男の子1人、女の子6人の合計7人いました。大学時代から子供を抱え、妻も小学校で教えていたため、吉野は家事も手伝えば子供のお守りもしました。特に泣き出した子供をあやすのがうまく、末っ子の文子などは吉野でなければ泣き止まなかったそうです。
明治42年、吉野は31歳で4人の子供を抱えるお父さんでした。3年間の中国赴任から帰国したばかりで、東京帝国大学での身分も決まっていませんでした。
このころの家計は苦しく、友人から贈られた自転車すら生活のため売らなければならなかった時期でしたが、子供の面倒はよくみています。
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日記には、平日の午後から子供を連れて汁粉を食べに行ったり魚捕りに出掛けたり、土曜日ともなれば浅草へ遊びに行ったとあります。また、子供の誕生日祝いをしたこと、子供が熱を出して心配している様子など、子ぼんのうな吉野の姿を見ることができます。
大正4年、ヨーロッパ留学から帰国すると、吉野は大学の助教授になり忙しくなると同時に、社会的地位も、うなぎ上りに高くなっていきます。しかし、子供たちにとっての優しいお父さんは、日記から姿を消してしまいました。
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