第3話 おしゃれだった!?作さん
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| 古川に洋服が入ってきたのは明治20年ごろでした。当時小学生だった吉野は、若い女性教師が浴衣地で「変な洋服」を縫って着ているのを「ハイカラ」だと思い、家で縫ってもらい得意になって着ました。
初めて見た本物の洋服は、お父さんが商用で横浜に行ったついでにおみやげに買ってきた金モールのついた古着でした。当時洋服といえば和服より位が高く、どんなにチグハグで汚くとも礼服として通用しました。吉野はよくこの金モールのついた洋服を着せられて学校の式や行事に参加しました。
中学時代、友達とハイキングに出掛けた時、吉野は洋服で靴を履きフランス帽をかぶって約束の場所に現れました。ほかの4人は和服にゲタか靴という格好でしたので、そのおしゃれぶりは相当のもので、同級生の間では評判でした。
紺がすりの着物がはやり始めた時期のある日、さっそくその羽織を着て来た吉野に対し「ほう、吉野が紺がすりを着た」と同級生が授業中に叫んだことがありました。真っ赤になって立ちすくんだ吉野が黒板に答えも書かないで席に舞い戻ったのを見て、同級生たちはこれ以後「紺がすり」をネタに、逃げる吉野を追い回したとのことです。
当時の中学生たちは、わざとハカマを汚したりほつれさせたりして得意顔で歩いていましたから、いつも行儀よく身ぎれいにしている吉野の格好は、からかいの対象でもあったのです。
日記には、平日の午後から子供を連れて汁粉を食べに行ったり魚捕りに出掛けたり、土曜日ともなれば浅草へ遊びに行ったとあります。また、子供の誕生日祝いをしたこと、子供が熱を出して心配している様子など、子ぼんのうな吉野の姿を見ることができます。
大正4年、ヨーロッパ留学から帰国すると、吉野は大学の助教授になり忙しくなると同時に、社会的地位も、うなぎ上りに高くなっていきます。しかし、子供たちにとっての優しいお父さんは、日記から姿を消してしまいました。 |
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