花は紅に咲くように、柳は緑色をなしている、自然のままにそれぞれに個性をもち発揮しているといった意味で春の茶会の掛け軸に使用されることが多いそうです。この言葉の初出とされる句が北宋時代(中国)の女性詩人朱淑真(しゅしゅくしん)の「愁懐(しゅうかい)」にあります。
「満眼の春光/色色新たなり/花は紅 柳は緑に/総て情に関す/将鬱結せる心頭の事を将て/黄りに付与して幾声か叫ばしめんと欲」。春光のなかでさまざまな彩りが新たになる。花は紅色に、柳は緑色に、全ては実相に関係している。今にも心がふさぎそうな胸の内の声を、代りにうぐいすをして鳴かせたい、といったところでしょうか。
吉野がどんな意味を込めて、この言葉を書いたのかは不明です。ただ、この書が迫りくるファシズムの時代に書かれた事を思えば、春光の中で憂うつな表情でたたずむ自画像という、「愁懐」のイメージも可能と思われます。
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